自己紹介②と内装工事中の院内の様子
こんにちは。
伊勢原あおやまクリニック院長の青山です。
今回は私の自己紹介の続きで第2部です。
なぜ、ブログで自己紹介? と思う方もいらっしゃると思います。理由は前回のブログをご覧になってください。
今回も最後に、院内の内装工事中の写真も載せます。
院長の自己紹介なんて見たくないよ!という方もいらっしゃると思うので、そこまで飛ばしてしまってもかまいません(笑)。
では、医師になってから伊勢原あおやまクリニックを開業することになるまでの話をさせていただきます。
無事、医師国家試験に合格後、母校の東海大学病院で研修医として勤務を開始しました。
研修医は数ヶ月おきに研修する科が変わっていきます。
本当に毎日必死で、朝から晩まで働いていました。
当時は働き方改革なんていう言葉もなかったですし、研修する科によっては24時前に帰宅できれば「早く終わった‼️」と感じるような時もありました。
昔、近所の内科クリニックの先生に憧れていたこともあり、なんとなく内科医になりたいなあと思っていました。
内科の中で最も興味を持ったのが血液内科でした。血液内科は、貧血などの良性疾患のみでなく、白血病、悪性リンパ腫など「血液がん」の患者さんの治療を行う科でもあります。
これらは、若い方が突然なることも多い病気で、患者さんにとっては「青天の霹靂」の出来事です。
最近ですと、水泳選手の池江璃花子さんが、白血病になり一時は選手生命の危機となったことがありましたね(今は大復活されていますね)。
患者さんは藁にもすがる思いで治療を受けるわけです。
血液内科医が治療をすることで、藁にもすがる思いの患者さんの気持ちに答え、病気を克服し人生を再び好転させることに魅力を感じたのです。
また、「血液がん」の治療は強力な抗がん剤投与や骨髄移植などを行うのですが、全身に多くの合併症が出現することもあります。
重症な感染症、心臓・肺・肝臓、胃腸の障害など様々です。したがって、全身のあらゆる臓器の知識がないと治療をすることができません。
血液内科は一般的にはなじみのないマニアックな科だと思われがちなのですが、実は内科の中でも最も内科らしい科であると感じました。
これらの理由もあり最終的には血液内科医になることを決断しました。
母校の東海大学病院での2年間の研修医終了後、そのまま東海大学の血液内科へ入局させていただくことにしました。
入局後は、一刻も早く一人前になりたいという気持ちでいっぱいで、毎日仕事が終わった後も、勉強や研究で夜遅くまで院内に残り、休みもあまりなかった記憶です。
もしかしたら、研修医や医学生さんが読んでいるかもしれないので、念のため言っておきますが、今は交代で休むこともでき働きやすい環境が整っていますよ!
そこから10年以上必死に働き、多くの患者さんの治療に携わせていただきました。
医局の上司の指導のおかげもあり、博士号、専門医・指導医も取得することができました。
ちょうど、医師13年目になった頃に、血液内科のみでなく一般的な内科の病気の治療も行い、将来的には大好きな伊勢原でクリニックを開業し、地域貢献をしたいと考えることになりました。昔に憧れた、近所の内科クリニックの先生のようになりたいとの気持ちが強くなってきました。
大学病院の上司、当時の教授に相談しご了承いただき、医師15年目に寒川病院へ入職させていただきました。
東海大学病院は退職となりましたが、非常勤医師として週に1回、外来を担当しております。伊勢原あおやまクリニック開院後も東海大学病院での外来は続けさせていただきます。
寒川病院は地域密着型の病院で、幅広く多くの内科疾患を診療してきました。その後、伊勢原でクリニックを開業したいという気持ちはますます強くなり、医師17年目になる2025年5月に開業することとしました。
寒川病院は2年間で退職することになってしまいましたが、私の気持ちを尊重してくださり、感謝の気持ちでいっぱいです。地域の皆様に信頼される病院で、素晴らしいスタッフの方々と一緒に働けたことは、短い間でしたが私の医師人生において大きな財産になりました。
長くなりましたが、これで私の自己紹介は終了です。
私がどんな人なのかを少しでも知っていただけたら幸いです。
では最後に内装工事中の院内の写真をご覧になってください。
3月の工事真っ只中の院内の様子です。
これは、待合室となる場所から、撮影した写真です。
奥側から、診察室1、診察室2の入り口になります。
職人さん達が急ピッチで、一生懸命工事を進めてくださっています。この段階だと、どんなクリニックになるかイメージつきにくいと思います。
今回はこれで以上になります、
次回は、もう少し工事が進んだ段階でご紹介させていただきます。
皆様、引き続きよろしくお願いいたします。